秋葉原・神田明神
お茶ノ水、水道橋、
そして、秋葉原には、
電気街、古本街、楽器店、
さらには、
後楽園などがあったので
以前は、
よく遊びに行っていましたが、
今まで、
神田明神のことは、
ほとんど念頭にありませんでした。
その昔、
京都の刑場で
さらしものにされていた
平将門の首が
関東まで飛んできて、
力尽きて落ちたところに
首塚を作って
祀っていたそうですが、
首塚をお参りしたあとは、
胴体を祀っている
神田明神へ参拝するのが
しきたりだったそうです。
一説によると、
将門の胴体が祀られている
神田明神とは
「からだ明神」が
なまったものだという。
でも、私は、
将門の首塚が
高層ビル群の一角にあることだけは
噂として聞いたことがありますが、
それが何処なのか、
あえて
知らないままでいます。
戦後のこと、
将門伝説のことを知らない進駐軍が、
重機を使って首塚を排除しようとしたら
ブルドーザーが転倒してしまったとか。
首塚の場所に
新しいビルを建てようとしたら
大事故が起きて
何人もの死人が出たとか・・
いわくつきの場所のようだからです。
由緒書き見ると、
たしかに、
平将門が祀られていますね。
以前、
よく読んでいた
荒俣宏の小説
「帝都物語」にも、
将門の強力な怨念が
描かれていました。
徳川家康のブレーンだった
天海僧正によって
江戸の地を風水の結界よって
治めようとしていたことは
有名な話しですが、
江戸の鬼門に
東叡山寛永寺を建立、
さらに、その先には、
日光東照宮がある・・・
つまり、
京都の平安京では、
いにしえから行われている
風水の配置を
江戸に配置した訳です。
この天海僧正は
謎の多い人物のようです。
神田明神の境内は、
都心の一等地にしては
かなり広くて、
じっくり散策してみると
いろいろなものが見つかります。
平将門伝説、
天海僧正の痕跡など、
今回もまた
虚構と現実の世界を
楽しませてもらいました。
ということで、
神田明神から
この「男坂」を下ると、
秋葉原の電気街。
そうそう、
神田明神下の平次といえば、
ご存知、銭形平次のことですが、
ドラマの中の設定では、
明神下にある長屋に住んでいたことに
なっていますね。
秋葉原の電気街では、
また、いつものように、
いろいろな(余計な?)ものを
購入してしました。
(続く)
2016年09月22日 Posted by夢虹 at 18:26 │Comments(2) │日記/一般│旅行
この記事へのコメント
御朱印を始めてからお江戸に上りましたらお寺お宮にいくつか行きましたが
まだ神田明神へは行けていませんね。次回念頭に置いときましょ。
将門さんはあちこちに伝説を残されていますのね。。
大抵怖い物ですが・・・(^-^;
まだ神田明神へは行けていませんね。次回念頭に置いときましょ。
将門さんはあちこちに伝説を残されていますのね。。
大抵怖い物ですが・・・(^-^;
Posted by まりんか☆ at 2016年09月23日 13:37
まりんかさん、
おひさしぶりです。
御朱印をやっておられるのですね。
実は、私も、
数年も前から「後朱印帖」だけは持っているのですが
持ち歩くことをしていなくて・・・
もう、御朱印帖の半分以上のページが埋まるくらい
数多くのお寺を訪れているのに、
まだ、ほんの数箇所の御朱印しか書いてもらって
いません。
これからは、どこに行くにも、
持ち歩くことにします。
将門伝説は、
いろいろな場面で語られているようですね。
民衆の英雄として、
あるいは、朝廷への反逆者として。
いつの時代にも腐敗した権力というものは
なくならないものなので、
将門の怨念というより、
それは即ち民衆の怨念を代弁しているものなのかも
しれません。
おひさしぶりです。
御朱印をやっておられるのですね。
実は、私も、
数年も前から「後朱印帖」だけは持っているのですが
持ち歩くことをしていなくて・・・
もう、御朱印帖の半分以上のページが埋まるくらい
数多くのお寺を訪れているのに、
まだ、ほんの数箇所の御朱印しか書いてもらって
いません。
これからは、どこに行くにも、
持ち歩くことにします。
将門伝説は、
いろいろな場面で語られているようですね。
民衆の英雄として、
あるいは、朝廷への反逆者として。
いつの時代にも腐敗した権力というものは
なくならないものなので、
将門の怨念というより、
それは即ち民衆の怨念を代弁しているものなのかも
しれません。
Posted by 夢虹 at 2016年09月24日 12:51